J.LEAGUE SEASON REVIEW 2024
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MANAGEMENT66新スタジアムができて以来、森重部長には好きな景色がある。世界遺産の原爆ドームの後ろにEピースが堂々とたたずむ構図だ。世界から多くの観光客が訪れるエリアからは、翼を広げたような姿のスタジアムが大きな存在感を放つ。森重部長は、「平和記念公園のすぐ近くにあるスタジアムの位置付けから考えれば、もっとやるべきことがあると感じています」と力を込める。Eピースはサッカーを通じた新たな平和発信の拠点としての役割がある。75年前に平和記念公園と資料館を設計した建築家の丹下健三氏は、平和記念公園の北側をスポーツや文化を通じて平和を創造する場所とし、今の新スタジアムがある区画には総合競技場を描いていた。当時は実現しなかったが、長い年月を超えてそこにサッカースタジアムが完成した。「スタジアムができたことで、丹下さんが考えられたものがほぼ完成形に近づいてきたと思います。街全体を見れば、それぞれの役目、役割がちゃんと明確化されていて、スポーツが果たす役割をここでどう形成するかというのが、サンフレッチェ広島に今、求められている大きなものだと思います。僕らは平和であるからこそ好きなことができて、スポーツやサッカーができる。広島の場合は特にスポーツができる喜びを気付かせてくれます。そこをもっと発信していくことが広島の役割だと思います」Eピースが建つのは、原爆で焼け野原になった後、戦後の混乱の中で人々がたくましく生活を送り、復興を果たした地にある。そうした地域にあるからこそ、サンフレッチェ広島が2018年から毎年開催しているピースマッチや海外からも注目される国際試合はより大きな意味を持つ。また、丹下氏も未来を担う子どもたちへの思いをこの地に込めていたように、スタジアムがサッカー教室や地域の社会貢献活動などを通じた「学びの場」や「成長の場」として平和都市のシンボルになることも期待される。森重部長は、「広島のスポーツ文化や地域社会全体を活性化させる中心地としての役割を果たすべきだと思っています」と言う。クラブを取り巻く環境も変わった。以前は広島市の中心部に点在していた程度だったサンフレッチェの幟旗やポスターが、今では日常的に街なかで紫を目にしない方が難しい。そうした街の変化は新スタジアムと共にサンフレッチェ広島がより浸透してきた証しだ。クラブとしては収益増加やブランド力向上だけではなく、Eピースを中心とした街のコミュニティの主役であることも大きい。新スタジアムに移転して以来、問い合わせや相談が「本当に驚くぐらいに来ています」という。株式会社 サンフレッチェ広島事業本部 スタジアムビジネス部  森重 圭史山口県岩国市出身。1987年に地域の家電量販店ダイイチ(現エディオン)に就職。以降、パソコン専門店3店舗、家電店2店舗にて勤務。2000年に本社へ配属となり、商品部長、営業部エリア長を務める。蔦屋家電(二子玉川・広島)のプロジェクトリーダーやロボットプログラミングスクール事業に携わり、2023年4月からサンフレッチェ広島に所属。そうした街のさまざまな可能性をつなぐ役割をクラブは担っていく。「(街との連携で)具体的に何かを仕掛けてやるというよりは、街の中でそれぞれ運営しているメンバーが横に集まって、『日常的に人が回遊したり、コミュニティができたりする方がいいよね』という話はしています。僕らは今、街で『サンフレッチェハブ構想』というものがあって、毎週1回は『何ができるか』とか『どんなことをしようか』といった街の人たちの声を聞いています」地域社会や経済へのインパクトが大きいからこそ、新スタジアムやクラブの役割と責任も大きい。地域活性化の起点として、さらには街なかスタジアムとスポーツクラブによる地方創生のモデルケースとしても期待が懸かる。「新スタジアムは単なるスポーツ施設にとどまらず、広島市にとって『文化』『経済』『コミュニティ』の中心的存在となりうるポテンシャルを秘めていると思います。スポーツ以外のイベントや地域貢献活動を積極的に取り入れ、地域経済や社会全体に対して良い影響を与える多目的な施設として成長していきたい。それによって、広島のアイデンティティを強化し、地域の発展をけん引する重要な役割を果たすことができると考えています」広島市は今、再開発が進んでいる。2025年春に開業する新しい広島駅をはじめ、市内中心部のあちこちで新たな施設の建設や建て替えが行われている。広島は大きく変わっていくが、新スタジアムは街のシンボルとして存在感を示すはずだ。街はますます紫に染まっていく。文 湊昂大

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