■■■■■■■■■■■■■■■■■■■それに加え選手交代をほぼ無制限にできるのでほとんどの選手が45分で交代、その中にはトップチームでほとんど活動していない若手も含まれる、というような公式戦とはかけ離れた条件だったことは忘れるべきではない。アカデミックな分析との相性が良い試合だったかと聞かれると非常に大きな疑問符がつく。しかし、その中でも筑波大学蹴球部と東京大学ア式蹴球部が非常に興味深い分析を行ってくれた。両者の分析に共通していたのは、ボール保持時での相手DFラインの背後への「裏抜け」の数だった(詳細な分析や数字、定義等の説明は、両者のリポートを参照いただきたい)。川崎フロンターレとFCバイエルン・ミュンヘンというチーム単位で比べた場合、またはハーランドという個人の選手にフォーカスした時に、ボール保持時の「裏抜け」に参考にすべき部分があるのではという分析は、非常に示唆に富む指摘のように思えた。もちろん前述の通り、このデータ分析から、「世界との差はこれです」「裏抜け数を増やしましょう」というような言葉を流布し、現場に「裏抜けをもっとしろ」と落とし込もうとするのは、あまりにも浅はかである。例えば、相手がDFラインを低く設定していれば背後に抜け出すスペースはないし、逆に相手がものすごくラインを高く設定するチームであれば当然、背後に抜け出す動きは多くなる。仮に試合の序盤で数点差のリードを得てしまえば、そもそも裏抜けする必要もなくなる。チームを他者との動的な相互関係によって成り立つ生態系という視点で見れば、背後にパスを出せる選手がいなければ前線の選手は動き出さないし、裏に抜けられるスピードのある選手が前線にいなければそこへのパスも出ない。背後に中長距離のスルーパスを出せる選手がいて、背後に抜ける前線の選手がいて、相手の配置によって背後にスペースがあって、そして試合展開の中でその必要性があって初めて、「意味のある裏抜け」は成立する。単に裏抜けする必要がなかったから裏抜け数が少ないだけだとしたら、余計なお世話になってしまうだろう。繰り返しにはなるが、あくまで「裏抜け数」というデータは、試合の中での様々な複雑な要素が影響し合って生まれた「副産物」に過ぎないのだ。一方、データから現代サッカーの流れを読み取ったり、リーグの特色をつかんだりという、「副産物」からの逆算は、サッカーへの考察を深める上で有用な手段にもなり得る。選手たちがピッチに残していったデータという足跡をたどっていけば、それが今後どういった方向へ向かっているのか予測することができるかもしれないし、足跡を逆からたどっていけばそれが一体どこから来ているかという推察を進めることができる。今回のリポートで指摘された「裏抜け数」に関して、実際にFIFAのカタールワールドカップのフィジカルデータ分析リポートでも、ベスト8のうち実に5カ国がボール保持時のスプリントした距離で上位に入っていることに注目している(なおチームのボール保持率が高ければ高いほどこの数字は大きくなってしまうので、全チームが90分間ずっとボールを保持したと仮定した場合のスプリント距離として正規化してある)。特に、優勝したアルゼンチンは走行距離では下から3番目、スプリントの距離でも全32カ国の中で平均に近い数字であるにもかかわらず、ボール保持時のスプリント距離ではトップから3番目の数字を記録している。つまり、他国と比べてボール保持時のスプリントを含んだアクションがそれだけ多かったということだ。これはもしかすると、森保監督が掲げているボール保持時の攻撃の質を上げていくというカタールワールドカップから得た日本の課題のヒントにもなるかもしれない。また、国レベルではなくクラブチームのスカウティングという観点で言えば、こうした指標を見比べて各国リーグの特徴、それぞれの強みや弱みを解析し、自クラブのリーグでは希少価値の高いタイプの選手を、そのタイプの選手が過多になっていて市場価値が低く設定されているリーグから獲得できる可能性を探れるかもしれないし、その逆もまた然りである。選手たちがピッチに残していったデータという副産物を手がかりにフィルターをかけながら逆算していくという手法は、選手のパフォーマンスを実際にピッチで見たり映像で見たりという旧来のスカウティング方法に比べると、効率的に選別していくという面ではより優位性があるだろう。昨今、得られるデータの量は日に日に増え、同時にその精度も高まっている。戦術データやフィジカルデータはもちろんのこと、AIを活用した予測や分析もこの先増えていくことが予想される。しかし、データの量が増えれば増えるほど、その精度が上がれば上がるほど、読み解く側のリテラシーの難易度はさらに高くなっていくのは忘れてはならない。この先サッカーにおけるデータ分析というのは、計測可能な限られた情報の分析ではなく、得ようと思えば無限に得られる情報の分析である。「データが何を語ってくれるか」ではなく、「データから何が語りうるか何が語りえぬか、そして何を語るべきか」がより重要になってくるのではないだろうか。
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