を語れるようになるといいですね。米:一人一人が「私の中のJリーグ」を語れるようになることは、ホームタウンとは何かを考える上で大切な要素の一つかもしれませんね。傍:そうですね。あなたの中にもJリーグはあるということですよ。米:社会連携の文脈で大切にしたいこととして、リーグやクラブが、サッカー界に閉じずに地域に出ていきましょうということも、もちろんあるのですが、地域の中で、地域を良くしたいと思っていらっしゃるいろいろな方々がいるので、もっと一緒にできたらな、と。社会連携とサッカーは別物とか、CSR活動ととらえる風潮があるのですが、そうではなく、一緒に実現できた方が、より豊かなコミュニティーになるのではという感じがしています。Jリーグは今年、25周年の節目のメッセージとして「Jリーグをつかおう!」を掲げました。サッカーに関わるひとだけでなく、町全体で人々が「Jと一緒に何かやってみたい」と思う状態になるために、Jリーグやクラブがやれることとして、どのようなことがあると思われますか。傍:「手を出す」ことじゃないですかね。相手が手を出してくるのを待つのではなく、握手をするように、「一緒に」と差し出すのです。米:たしかに、Jリーグは、クラブスタッフも選手もサポーターも、災害などの非常事態の時の団結力はすごいんです。リーグ主導というよりは、やりたい人が復興支援をどんどん進めていく。リーグの関わりは、救援物資を送りたいという声に、JFAハウスの場所を貸したりとか、募金をしたいという声に募金箱のデザインを統一したりするくらいのものです。傍:でも、今はまだ、それもサッカーの世界の中なんですよね。米:はい。普段、Jリーグを観に来ない方々も同調できるかというと、多分そこには一線あるんですよね。まさにその主語の転換を図りたいというのが大きなところです。あとは、サッカームラのように閉じているところを、どう社会に開くか。この点については、継続してリーグがクラブとできることを考えていきたいと思っています。米:傍士さんは『百年構想のある風景』なども執筆されておりますが、Jリーグ百年構想についてどのようにお考えでしょうか。傍:百年構想って、ゴールはないと思っています。これからの明日の未来の子供たちを育てる土壌がJリーグ。いつも工事中で、まだまだ工事を続けなければならない状態。それを、示し続けていかないといけないと思います。そういえばこの間、ヨーロッパへ訪れた際、彼らはいつも工事していることに気づきました。歴史的建造物などを常に直しているんです。聞いたら、「みんなに見せてるんだ」って言うんです。「完成しました」って言ったら、あとの人はやる気がでないですよね。「もう終わりました」と親が完成させちゃったら、後に続く人たちは「じゃあ僕の出番ないのか」って。そうならないよう、あらゆるところで仕組みになっているな、と気づきました。米:未完成であり続ける仕組みですか?傍:そうそう。百年構想も、それと同じですね。ずっと工事中であり続ける。米:どうしたら未完成であり続けられるのでしょうか?傍:私は、思考を止めないことだと思います。要するに、議論をする。結論を出すのではなく、問いを投げかけ、ああそうかと言い続け、どこかでそれはそれとして、と言い。多分そういう中から気づき出すことがあるんじゃないかな。常に未完成の状態っていうのは、思考を止めないということとイコールだと思います。米:「百年構想だから、100年後にはこう」と決めてしまうと、実現しない未完成の状態から少しでも逃れたい、というマインドになってしまいそうです。でも、そうではなくて、未完成のままであり続けることが大切なんですね。米:そうした視点から、傍士さんはJリーグに対して、これだけは大事にしてほしい、あるいは、もう少し頑張ってほしいという部分はありますか。傍:やはり皆さんには現実も大事でしょう。でも、本質を忘れてはならないと思っています。おそらくその本質の部分が、百年構想を支える道になっていくと思うんです。思考停止にならないように、みんなで話し続けていくことを大事にしてほしいと思います。米田 惠美Emi Yoneda4502MANAGEMENT STRATEGYFor Community 施策戦略の全体像有識者インタビュー
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