Jリーグ欧州スタジアム視察2014
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Ⅳ‐2.TSG 1899ホッフェンハイム Jリーグ欧州スタジアム視察2014報告書 (2014年2月8日(土)~16日(日)) 51 今回の視察先を含め、欧州では、アウェイ・サポーターをコーナーの一角に閉じ込めているケースが多く見受けられる。日本のようにゴール裏に設定していたダービーも、来シーズンから場所を変えると話していた。 車椅子席は、コンコースからスタンドに入った脇の通路。前の観客が立ち上がったら試合が見えない場所だが、その前一列は空席が目立った。販売していないのかもしれない。その脇の観客も、試合中に立ち上がる人はいなかった。 3.所感 2008年11月、まだライン・ネッカー・アレナが工事中の頃、それまでホッフェンハイムが使用していたディトマール・ホップ・シュタディオンを訪れたことがある。 クラブ創設100周年の1999年に完成。ホッフェンハイム地区の田舎道、一軒のガソリンスタンドの近くにある坂道を上がった中腹にひっそりとたたずむ、簡易な屋根を備えた6,350人収容のサッカー場で、クラブはアカデミーに注力していた。 ホッフェンハイムは、ひとりの富豪の手によって、1部昇格を果たしたが、3万人の新スタジアムを、76億8,000万円かけ、構想開始から約2年(着工から1年9カ月)という早業で建てたところで、集客にはハンディが多すぎる、そう簡単にはいくまい、と感じたことを覚えている。 ところが、ところが。ブンデスリーガ1部で6シーズン目のクラブは新スタジアムで、ほぼ満員の観客に包まれ、ダービーの一戦を4対1で圧勝した。トップリーグにふさわしい運営を行い、「村のクラブ」臭さは微塵もなかった。 「家」が「街」と「住人」を育てたのか。 ベースは、約5,700人の会員を抱える総合スポーツクラブ(バレーボール、柔道、チェス他)が、小さな旧スタジアムで活動した10年間に培われたに違いない。周辺の自治体も巻き込み、応援してもらえる風土を気づき、見違えるようなスタジアムにふさわしいクラブに成長したのだろう。新居ができて5年。いま、スモールタウン「ホッフェンハイム」の名は、世界に認知されている。

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