スタジアムプロジェクト欧州視察2010報告書
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Ⅱ‐3.ドレスデン Jリーグ スタジアムプロジェクト 欧州視察報告(2010年10月) 21 失うと、ディナモ・ドレスデンは1989年、1990年と2連覇を達成。1990年6月1日、1.FCディナモ・ドレスデンe.V.がSGディナモ・ドレスデンの権利継承者として設立された。 1991年3月20日、UEFAカップのレッドスター・ベオグラード戦でフーリガンが暴動を起こし、UEFA大会への出場が2年間禁止された。 1990年の東西ドイツ統一後、東ドイツリーグ1部からは2チームがブンデスリーガ1部に編入、最後のシーズンで2位だったディナモ・ドレスデンは1991/1992シーズンからブンデスリーガ1部で戦うこととなった。優秀な選手たちは西側のクラブに引き抜かれ、4シーズンにわたって1部に留まったものの、1995年、1部で最下位となり、また経営状況からライセンスが剥奪され、レギオナルリーガ(3部)に降格となった。2000年にはついにオーバーリーガ(4部)に降格してしまった。 しかし熱心なファンの応援もあり、2004年にはブンデスリーガ2部まで復帰。現在は2008/2009シーズンより新たに設置されたブンデスリーガ3部に所属している。 2006年9月に、1.FCディナモ・ドレスデンからSGディナモ・ドレスデンへの改名が年次総会で承認、2007年7月より現在の名称に変更された。 2. 黄色のスタジアム (1)新スタジアムの建設 ◆スタジアム建設の経緯 ①なぜスタジアムが必要だったのか? ・旧スタジアムには、屋根が無く、いちばん高いところが電光掲示板であるような、古いスタジアムだった。(40年変わらぬ施設) ・ドレスデン市は、ザクセン州で面積が一番広く、ドイツの中でも5本指に入る広大な街である。 ・人口51万を超える人々が生活をしていて、40,000人の学生がいる学生の街でもある。 また、約60,000人がスポーツクラブに入会していて、スポーツに対するニーズがとても高い。 ・ドレスデンには、82のスポーツクラブがあり、その中で最も組織が大きいのが「ディナモ・ドレスデン」である。 ・加盟プロリーグのクラブライセンス(スタジアム規定)基準を満たさない施設のため、今後のリーグ参加の条件として、スタジアムの改築を余儀なくされた。 ・ドレスデン市は、州都であり、文化やスポーツの中心地でもあり、サッカースタジアムが必要であった。 上記のような理由から、2004年に市議会で、スタジアム建設が決定し、翌2005年に公式発表し建設に至った。なお、建設終了後、30年に渡り、市が施設を管理するとの内容も発表された。 ②事業の方法及びその主体について ・このスタジアム建設についての事業については、P.P.P(Public Private Partnership)という、文字通り官民がパートナーを組んで事業を行うという新しい官民協力の方法をとった。 ・この事業主として、有限会社を設立し、借入はDDRオーバーリーガ 1975/76シーズン優勝時の優勝時のメンバー 旧ルドルフ・ハルビッヒ・シュタディオン

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