スタジアムプロジェクト欧州視察2010報告書
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Ⅱ‐3.ドレスデン Jリーグ スタジアムプロジェクト 欧州視察報告(2010年10月) 20 ホームクラブ概要(SG Dynamo Dresden) 【加盟リーグ】 Bundesliga 3部(ドイツ) 【創設】 1953年 【ホームタウン】 ドレスデン市・人口:517,052人(2009年12月31日) 【スタジアム】 ルドルフ・ハルビッヒ・シュタディオン 収容人数:32066人収容 【総工費】 €4,500万(54億円) 【平均観客数】 2009/2010年:14,397人 【年間予算】 2010/2011年: €5.348.547,34 【タイトル】 東ドイツオーバーリーガ(1部) 優勝8回 FDGBカップ(東ドイツカップ戦) 優勝7回 国際タイトルなし 1. ドイツ3部、SGディナモ・ドレスデン (1)クラブの歴史 ドレスデンには、1898年に創設されたドレスナーSC(後にSCフリードリヒシュタットと名称を変更)があり、ドイツの強豪クラブとしてドレスデン市民に愛されていた。しかし、第二次世界大戦後に共産党政権が成立すると、スポーツが国家の厳しい統制下におかれることとなり、ドレスナーSCは1950年に解散させられた。その後、各地より17名の選手が集められ、クラブカラーが当時のザクセン州の色である緑と白のドイツ人民警察のチームが誕生した。東ドイツに存在するスポーツクラブはすべて「ディナモ」の名を冠することとなり、1953年4月12日、ドイツ人民警察のチームはSDディナモ・ドレスデンとして生まれ変わった。クラブカラーは赤とドレスデンの白に変更された。ディナモ・ドレスデンは1953年に東ドイツ1部リーグで初タイトルを獲得。この成功に不満を抱いた秘密警察の中心人物がレギュラー格の選手をベルリンに連れて行き、1954年、ディナモ・ベルリンを設立。ディナモ・ドレスデンはその後3部まで降格した。 1964年にディナモ・ドレスデンは1部復帰を果たし、熱心なサポーターにも支えられ、1967年には4位にまでつけるが、翌年に再び2部へ降格。しかし、東ドイツ政府が、代表チーム強化を狙って特定クラブに有力選手を集中させる政策をとり、ドレスデンもその一つとなった。 1968年、クラブカラーをドレスデンの街の色である「黄色と黒」に変更。ディナモ・ドレスデンは1970年代に全盛期を迎え、1978年までに5度のリーグ優勝と2度のカップウイナーを勝ち取った。 当時のディナモ・ドレスデンは、他のクラブではまずみられない規律にとらわれない自由なサッカーをする選手が所属していて、人気も高く、常時25,000人の観客を集めていた。 1980年代に入ると、ベルリンの不振に不満をもった秘密警察の要人が、ディナモ・ベルリンの強化を行い、審判までもが国家権力の恐怖におびえ、レッドカードやPKの判定までがベルリンの優勝に貢献するというようなことが起こり、ディナモ・ドレスデンは万年2位に甘んじていた。 しかし1989年の東欧革命で秘密警察が権力をⅡ.ドイツ 3. ルドルフ・ハルビッヒ・シュタディオン(SGディナモ・ドレスデン) 2010年10月18日訪問 星 剛 (栃木SC)

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