欧州におけるサッカースタジアムの事業構造調査2008報告書
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CASE 3; Amsterdam Arena, (Netherlands), ver.5 p.14 Copyright ©Japan Professional Football League / Research Institute for Sport Business, Waseda UNIV 2008, All Rights Reserved ムと、同じ構造。 これを実現するため道路に、トンネル工事が必要となった。 1988年、「Sportscomplex Amsterdam BV」が創設され、McKinsey社にビジネスプランを依頼した。McKinsey社は建設地として、がふさわしいとした。 1990年5月、デザインの基本方針が確定。Stichting Amsterdam Sportstadが描いた通り、オリンピック用スタジアムと、多目的ホールを新設するプランだった。 · 陸上競技のトラックを設置する。 · ドーム型とする。 · スカイボックスやレストランを備える。 · レストラン、ホール、博物館などが入る、メイン・ビルディングを設置する。 他方アヤックスは、早く新スタジアムに移転したかった。またスタジアムと多目的ホールの二つを建設するのは、財政面からも不安視されていた。これらの要因から、スタジアムだけを建設することになった。 スタジアムの稼働機会を増やせるよう、屋根をスライド式にすることを決めた。 建設資金は当時、239百万ギルダー16(175.2億円)と見積もられた。アムステルダム市、アヤックス、ABN AMRO銀行が、出資元となった。議会が60百万ギルダー(44億円)の寄付を決めたのは、たいへん重要だった。残りの費用は、株式発行によってその大部分を集める算段とした。 1990年12月、NV社の株式を売りに出したが、折悪しく湾岸戦争の勃発と重なったこともあり、調達できた資金は、予定額に及ばなかった。 これを受け、建設コスト削減のため計画を一部見直した。 · 陸上競技のトラックをなくして、全体のサイズを小さくする。17 · 4本の柱が大きな加重を支える構造を導入する。 · スライド式屋根は、長い辺が割れて、短い移動距離で開閉できる構造とする。 · スタジアムの下に、600台の駐車場を 16 1ユーロ=2.2ギルダー(2002年1月) 17 IOCは1986年、1992年大会をバルセロナで開催することを決定した。 設ける。 · 個席5万席を設置する。 これにより建設費用の見積もりは、202百万ギルダー(148.1億円)となった。 1991年末、Ouder-Amstel市が、建設地がでは、議会承認が難しいと言い出した。丁度、アムステルダムからのアクセス改善計画も進んでいたので、道路上に戻した上で、公共交通機関も整備する計画とした。このとき、パーク&ライドの考え方が浮上した。18 1992年2月、「Stadion Amsterdam NV」の理事会が、スタジアム建設を承認した。予算は202百万ギルダー(148.1億円)。 1992年4月、アムステルダム議会が、スタジアム計画を承認。パーク&ライドに63百万ギルダー(46.2億円)投資することも決定。 1993年11月、工事開始。 「Stadion Amsterdam NV」と、(1) Grolsche Bierbrouwerij Nederland B.V. (2) Philips Electronics Nederland B.V. (3) KPN (4) Ballast Nedam Bouw B.V. (5) BAM Beredero Bouw が、創設者契約を締結。 1995年3月、建設現場の労働者が無期限ストに突入。スタジアム名「Amsterdam ArenA」を発表。 1995年4月、ストライキは5週間で収束。 1995年5月、1,300株売り出したB種株式(ビジネスシート)が完売。 Amsterdam Village Company B.V.より、 18 二つの建築予定地、は、わずか1kmの近さにある。いずれもアムステルダム市と、Ouder-Amstel市の、境界付近だ。アムステルダム市からはの方が、便利だ。同市からの鉄道や地下鉄は、まさにに繋がっている。他方Ouder-Amstel市からは、道路上に建設した方が、便利だ。その道路はまさに、Ouder-Amstel市の中心部から伸びている。結局が選ばれたため、アムステルダム市は、市民のアクセスのための工夫が必要になった。

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