イレブンミリオンプロジェクト欧州視察2008報告書
38/73

Ⅲ-3.チャールトン・アスレティックFC Jリーグ イレブンミリオンプロジェクト 欧州視察報告(2008年1月実施) 37 のチケット会員すべて来期は無料にすることにした。 失った4,000人のチケット会員には常にマーケティング的なアプローチを行っている。その4,000人に対し200ポンド(44,000円)の郵送経費(DMと思われる)を掛け18万7500万ポンド(4,125万円)の収益を確保することができた。 (3)マーケティング活動 ~データベースの統合~ 降格を期にコマーシャルセンターを設置し、8つに分かれていたカンファレンスオフィス(それぞれにデータベース)を全て一括管理するようになった。 • セールスキャンペーン • 一般チケット販売 • シーズンチケット販売 • エグゼクティブボックス販売 • スポンサー販売 • ホスピタリティ販売 • 試合のない日のハイヤー活動 • イベント活動 これにより統合したマーケティングを行えるようになり、毎日32,000人へ向けたメールマガジンを発行している。また、RED CARDと呼ばれるメンバーシップカードを発行し、会員数は65,000人を超えた。また、今後はオンラインでのチケット販売を強化したいと考えている。 また、スタジアムにおけるホスピタリティの充実にも非常に熱心であり、「レジェンズ・レストラン」や「ピッチ・ハイヤー」、クリスマス、新年パーティー等サービスの充実を図り、2007年度にはプレミアで最もカスタマーサービスの行き届いたチームに選ばれた。 2.クラブとサポーター クラブとサポーターとの歴史は「ザ・ヴァレイ・スタジアム」の歴史と同義である。それは1919年に遡る。当時スタジアムを点々と渡り歩いていたチャールトンは、チャールトン・ヴィレッジの中心部にあった廃坑にスタジアムを建設することを計画した。しかし、スタジアム建設費用を捻出することができなかった。そこで立ち上がったのがクラブのサポーターたちである。彼ら自身の手で廃坑を埋め、あるいは掘り起こしてグラウンドの形に整形し、余った土砂を周囲に積み上げてスタンドとした。「ザ・ヴァレイ」の名前の由来は、スタジアムが建設される以前の廃坑が峡谷(valley)のように見えたからである。 1984年、クラブが破産すると、チャールトン・アスレティックは「ザ・ヴァレイ」から立ち退かざるを得なくなった。破産したクラブはサポーターたちの設立した投資組合によって買収され存続することになったが、この組合は「ザ・ヴァレイ」の権利までを買収することができなかったのである。クラブが「ザ・ヴァレイ」の権利を取り戻したのは1988年であった。

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る