イレブンミリオンプロジェクト欧州視察2008報告書
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Ⅱ-3.アスレティック・ビルバオ Jリーグ イレブンミリオンプロジェクト 欧州視察報告(2008年1月実施) 3.ホームタウン「ビルバオ市」 ビルバオの人口は約35万4,000人、スペイン北部屈指の港湾都市であり、鉄鋼業で発展してきた。しかし、その鉄鉱石が産出されなくなったときに、町は荒廃への途を辿りはじめた。その時にビルバオの人々は一転し、観光とサービス業に町の発展を賭ける。 1995年に地下鉄、2002年には市電を開業、町のシンボルともいえる川の辺に、シュールで超モダンな「グッケンハイム美術館」を建設。ガラス張りのつり橋を渡し夜景はロマンティックな観光スポットとなる。ビルバオ空港も人目を引くモダンなデザインで建築された。もともと裕福な町の人々は、膨大な再開発の投資に物議をかもしながらも市の再建に賭けた。その経過はすばらしく、転身した町に多くの観光客が足を運ぶようになったという。 4.歴史 「港湾都市のビルバオはイングランド船との鉄鉱石を中心とした商業と文化交流によりフットボールを伝来される。初めにできたクラブが「ビルバオフットボールクラブ」で、その礎のもとに1898年イギリスのスポーツクラブを手本にして、アスレティック・ビルバオが誕生する。※」 ※アスレチックビルバオオフィシャルサイト http://www.athletic-club.net/ スペイン語の「アトレチコ」ではなく、「アスレティック」と英語表記なのはそのためだ。 また歴史の中には1941年から36年間、フランコ軍事独裁中央政権の弾圧の下で、バスク人はバスク語を話すことを禁じられ、スペイン語を強要されていた。当時は、アトレチコと改称される。民族解放を求めたバスク解放戦線の名残が今もテロとして勃発しているが、それは特異なこととしても、民族解放、民族のアイデンティティーとしての「フットボール」、ビルバオの社会現象となった側面もある。その流れからレアル・マドリード(スペインの中央政権の象徴)を敵対視する。 1984年アスレティック・ビルバオがスペインリーグを制して、国王杯も制したときは、選手たちは英雄として市の象徴たる川を船に乗り凱旋し、その岸辺にはビスカイヤ県から100万人のファンが集まり、岸辺は歓喜の旗で溢れたという。 川の辺に異様な姿を現すグッケンハイム美術館(左側) 夜は川沿いに美しい夜景が広がり、川面に映し出す 写真の右隅に工事中の様子がうかがえるように、 まだ開発は続いているようだ アスレティック・ビルバオのスタジアムの中に飾られるその時の情景 この110年の歴史を誇るクラブは、スペインで2番目に長く(レアル・マドリードやバルセロナよりも長い)フィロソフィーは一貫して変わっていない。もちろん、バスク人の純血主義である。 ただし、監督・スタッフは外国籍が認められ、選手においても現在はバスク人かバスク地方に居住している人までが認められている。 また、スペインにおいて株式会社ではなく、クラブ独自の運営をしている4つのクラブ(レアル・マドリ17

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