2016 winter
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アジア戦略の背景現在、世界で最も人気の高いサッカーリーグと言われるイングランド・プレミアリーグだが、1992年の発足以前、イングランドサッカーは低迷にあえいでおり、人気、実力ともにヨーロッパの他国リーグに大きな遅れをとっていた。しかし、プレミアリーグの創設後、メディア王といわれるルパート・マードック氏率いる有料衛星放送局のBスカイBは、この放映権を獲得することで、受信世帯数を大きく伸ばし、サッカーが視聴者にとって「キラーコンテンツ」であることを印象付けた。 さらに、プレミアリーグ発足から3年後の1995年、ベルギーのサッカー選手ジャン=マルク・ボスマンが、ヨーロッパサッカー連盟を相手にサッカーの移籍ルールに関する異議申し立てを行い、勝訴。EU圏内であればEU加盟国の国籍所有者の就労は制限されない、という労働規約がプロサッカー選手にも適用されることを法廷で明らかにした。後にボスマン判決と呼ばれるこの判決により、移籍の流動化、国際化が急激に進むこととなり、以降ヨーロッパのサッカーリーグでは世界選抜チームともいえるクラブ同士の試合が毎週のように行われるようになる。 このように、世界中に試合を伝えることのできる仕組みが整備された上に、レベルの高い試合が毎週のように繰り広げられるようになったことで、今日に至るまで、世界中のサッカーファンの興味はもちろん、多くの人材・資本がヨーロッパに一極集中している状態が続いている。しかし、近年ではアジア市場の拡大にともない、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域を中心に自国リーグへの投資の機運も高まりはじめている。Jリーグを含めた後発のリーグ達が、アジアの存在感を高め、ヨーロッパへの一極集中の構図に歯止めをかけるためには、リーグ単位での連携が必要不可欠。Jリーグはすでにアジア各国のプロリーグと協定締結を進めており、アジアサッカー界のリーダーとしての使命を背負っている。59

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